2014年 05月 17日
金四ツ丸時計! |
先日、修理のため時計屋さんに預けていた【柱時計】が、戻ってきました。
この時計、実は、
大田町の実家を解体するため市内のホテルに宿泊されたある方が、ホテルのロビーに貼ってあった熊谷家のポスターを見て、
「うちに古い時計があるんですけど、もしよければ使ってください」
と言って、寄贈してくださったものなんです!

それ以来、勘定場の柱で、チックタックチックタック と、調子よく時を刻んでいたのですが、私がちょっと強くぜんまいを巻きすぎてしまって・・・
泣く泣く、時計屋さんに持って行くという事態に。
時計屋さんで風呂敷包みを広げた途端、
「ほぅ これは・・・これは古い時計ですょ・・・私も一度だけ修理をした覚えがあります・・・もうずいぶん昔のことです・・・そうですかぁ・・・まだ大田に残っていたんですか・・・」と、とても愛おしそうに時計を眺める店主。
壊してしまった事を、とても、とても後悔しました。
時計を預けて帰った数日後、時計屋さんから「相談があります」と電話がかり、いてもたってもいられず見に行くとー

これが、時計の心臓部。
美しいですね。ホントに美しい。
写真手前が短針の「ぜんまいばね」、奥が長針の「ぜんまいばね」です。
確かに、春の味覚“ゼンマイ”に似ています!
巻いたぜんまいばねが元に戻ろうとする力と、錘の重力が歯車を回す動力源。振り子の振動で制御して正確な時を刻むーという具合でしょうか。
結局、ぜんまいを巻く部品がチビてしまって空回りする事がわかり、部品もない中いろいろ工夫して調整してくださり、この度、すっかり元気になって熊谷家に帰ってきたのです。

調べてみると、この時計は、アメリカのE.INGRAHAM&CO.(イングラハム時計会社)製の、通称【金四ツ丸時計】。 1880~1884年(明治13~17年)に作られたもののようです。
日本が今のように一日を24等分した西洋の「定時法」に改められたのは明治4年。暦も太陰暦から太陽暦に改められました。時の感じ方が大きく変わった時だったのではないでしょうか。
当初は、外国から輸入した時計に頼っていたようですが、その後、欧米の時計を研究、模倣し、明治の終わりには輸出産業になるまで成長していきました。
ほんとうに、昔の人の勤勉さに頭が下がります。
熊谷家には、ちょうどそんな時代に、日本国内で作られた柱時計が残っています。

これは、日本時計株式会社 製の【八角時計】。文字板の商標からすると、1896~1901年(明治29~34年)に大阪で作られたもののようです。
せっかくなので、この時計も調整してもらい、すっかり元気になって帰ってきました~
時計の後ろには、かつて大森町にあった時計屋さんの修理記録が書かれた紙が貼ってあります。

「新しいモノを受け入れ、学び、新しいコトに挑戦する。そして、手をかけて長く大切に使う」そんなことを、改めて感じた出来事でした。
この時計、実は、
大田町の実家を解体するため市内のホテルに宿泊されたある方が、ホテルのロビーに貼ってあった熊谷家のポスターを見て、
「うちに古い時計があるんですけど、もしよければ使ってください」
と言って、寄贈してくださったものなんです!

それ以来、勘定場の柱で、チックタックチックタック と、調子よく時を刻んでいたのですが、私がちょっと強くぜんまいを巻きすぎてしまって・・・
泣く泣く、時計屋さんに持って行くという事態に。
時計屋さんで風呂敷包みを広げた途端、
「ほぅ これは・・・これは古い時計ですょ・・・私も一度だけ修理をした覚えがあります・・・もうずいぶん昔のことです・・・そうですかぁ・・・まだ大田に残っていたんですか・・・」と、とても愛おしそうに時計を眺める店主。
壊してしまった事を、とても、とても後悔しました。
時計を預けて帰った数日後、時計屋さんから「相談があります」と電話がかり、いてもたってもいられず見に行くとー

これが、時計の心臓部。
美しいですね。ホントに美しい。
写真手前が短針の「ぜんまいばね」、奥が長針の「ぜんまいばね」です。
確かに、春の味覚“ゼンマイ”に似ています!
巻いたぜんまいばねが元に戻ろうとする力と、錘の重力が歯車を回す動力源。振り子の振動で制御して正確な時を刻むーという具合でしょうか。
結局、ぜんまいを巻く部品がチビてしまって空回りする事がわかり、部品もない中いろいろ工夫して調整してくださり、この度、すっかり元気になって熊谷家に帰ってきたのです。

調べてみると、この時計は、アメリカのE.INGRAHAM&CO.(イングラハム時計会社)製の、通称【金四ツ丸時計】。 1880~1884年(明治13~17年)に作られたもののようです。
日本が今のように一日を24等分した西洋の「定時法」に改められたのは明治4年。暦も太陰暦から太陽暦に改められました。時の感じ方が大きく変わった時だったのではないでしょうか。
当初は、外国から輸入した時計に頼っていたようですが、その後、欧米の時計を研究、模倣し、明治の終わりには輸出産業になるまで成長していきました。
ほんとうに、昔の人の勤勉さに頭が下がります。
熊谷家には、ちょうどそんな時代に、日本国内で作られた柱時計が残っています。

これは、日本時計株式会社 製の【八角時計】。文字板の商標からすると、1896~1901年(明治29~34年)に大阪で作られたもののようです。
せっかくなので、この時計も調整してもらい、すっかり元気になって帰ってきました~
時計の後ろには、かつて大森町にあった時計屋さんの修理記録が書かれた紙が貼ってあります。

「新しいモノを受け入れ、学び、新しいコトに挑戦する。そして、手をかけて長く大切に使う」そんなことを、改めて感じた出来事でした。
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by kumagai-ke
| 2014-05-17 13:10
| 重要文化財