2014年 03月 02日
『みや大モリ』 の報告です♪ |
2月22日(土)
「ブラ大モリ」2014冬 『みや大モリ』~神々が集う地・大森 編~
を開催いたしました~
天候にも恵まれ。絶好の町歩き日和♪
神社や祠、神社があった跡などなど、定員を大幅に上回る27名の参加者の皆さんと、楽しく大森の“お宮”を巡りました~
「城上神社」では、現在修復工事中の本殿について、大田市石見銀山課の小野将史さんにご案内いただきました。
主祭神は「大物主命(大国主命)」。また本殿のすぐ前、南社と北社にそれぞれ「櫛磐牖命(クシイワマドノミコト)」と「豊磐牖命(トヨイワマドノミコト)」が祀られています。
これは、「随神社」といって、主神に従い守護する者として安置されるものなのだそうです。
また、通殿(拝殿と本殿をつなぐ渡り廊下)は後になって作られたもので、それ以前は「随神門」の形をとっていた事。「浜床」と「浜縁」があった事・・・など、初めて聞く言葉にメモをとったり写真をとったり~みなさん興味深く聞き入っておられました~
こちらは、城上神社の境内社。 案内人は石見銀山資料館の藤原雄高 学芸員です。
城上神社の境内には、「天満宮」「稲荷神社」「恵比須神社」「大元神社」「春日神社」「八重垣神社」「愛宕神社」「大歳神社」「王子神社」「八幡宮」「粟島神社」・・・・などなど、たくさんの境内社があります。現在確認できる社は8社。その他にも、社の基壇のようなものが3箇所ほど確認できます。
もともと、この辺りの別の場所にあったものを境内に遷し、境内社になってからも、あっちの社からこっちの社へと、どうやら神様は、長い年月の間にずいぶん引っ越しをされたようです。
引っ越しもしなくなった今、どの社にどんな神様が祀ってあるのかすら解らなくなりつつあります。本殿の修復後には、どうか、境内社の詳しい調査や修復もしていただきたいなぁ・・・と、感じました。
こちらも現在修復工事中の「井戸神社」です。大田市石見銀山課の生田光晴さんにご案内いただきました。
井戸神社は、明治12年に、ここより少し北側に建てられましたが、大正5年に現在の地に遷ります。
祭神は「井戸平左衛門正明 公」。 享保16年から17年、第19代大森代官をつとめ、その後 神様となってこの地に祀られています。
ほぼ毎日のように見ているのですが、こんなに近くで見させていただいたのは初めてでした。
本殿の妻飾りや向背の彫刻は本当にみごとで、あらためて井戸公の功績と地元の方々の想いを感じることができました。
さて、さて・・・ここは?
御陣屋の郭内にあった「稲荷大明神」の跡です。
何をしているのか?はたして「宮」なのか?この写真ではさっぱりだと思いますが・・・藤原学芸員が、灯篭の片割れを指して「文政六年・・・代官大岡源右衛門・・・」などと説明しているところです!
瓦葺きの拝殿と、枌葺き(そぎぶき)の本殿、鳥居も立っていたとのことです。 現在は城上神社の境内稲荷社に一緒に祀られています。
観世音寺の境内にある「金毘羅社」。
今回のポスターに使われた写真。いったいあれはどこか? と、一部でちょっと話題になっていたようですが、ここが正解! 1月10日の雪の日に撮影したものでした~
「金毘羅社」は、元々は向こうに見える山の上にあったとのこと。よく見ると、鳥居はちゃんと山の方向を向いています。 現在は地域の方々によって大切に祀られています。
町内の家々には、個人で祀っておられる社もたくさんあります。今回は特別にそれらも見させていただきました。
屋敷神というのでしょうか、敷地の後ろや近くの山などに祀ってあります。
地元の方の話では、「お稲荷さんは、ちょっと大きい家にはたいがいあった」とのこと。町並みには恵比須社も3社あったとのことですし、かつての繁栄ぶりがしのばれます。
町並みの南端にある「長砂神社(たかさごじんじゃ)」です。
城上神社より約1㎞離れたところにある「飛地境内社(摂社)」で、主祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です。 「大国主」の国造りに参加したとして二神は対で祀られることが多いようです。
毎年行われる秋の大祭では、城上神社で本祭をし、御神輿やしゃぎり太鼓などが長砂神社まで行って祭りをしてからまた城上神社に戻ってきます。 これは「大国主」が「少彦名命」のところに行って相談をされるーということなのだそうです。 参加者からは「なぜ少彦名命が来ず、大国主命が行くのか?」といった質問もありました。
(その理由がわかる方、ご一報いただけると喜びます)
最後に訪れたのは、「天満宮跡」です。(写真は終わりのあいさつをしているところ)
この「天満宮」、実は石見銀山絵巻の最初の1ページに描かれています!
今はただの空き地のように見えますが、実際に行ってみると「梅鉢紋」が彫られた灯篭の一部や、鳥居の一部のようなものも転がっています。 きっと立派な社殿が建ち、多くの人々の信仰をあつめていたんだろうなぁ と思います。
今回は、“お宮”をテーマに1㎞ほどの町並みを3時間半かけて巡りました。 テーマを決めたときには、正直、こんなに“お宮”に関するものがあるとは思ってもおらず(写真に写っていないところもたくさんあります!)、実際は時間が足らないくらいでした。
ご参加くださった皆さん。ご案内くださった小野さん、生田さん、藤原さん。本当にありがとうございました。
また、イベントを行うにあたり、地元の方々にも、たくさんお話を伺いましたし、修復工事中の現場を見させていただいたり、と、たくさんの皆様のご協力でイベントを行うことができました。
本当にありがとうございました。
『ブラ大モリ』は、毎回専門家の案内のもと、様々な切り口から大森の町並みを巡る「町あるきイベント」です。
石見銀山資料館 と、家の女たち が、共同で主催しています。
これまでに、【陣屋町】、【武士】、【建築】、【お寺】、【石】、【宮】 をテーマに、元気に町並みを巡ってきました~。
毎回たくさんの方にご参加いただき、また、たくさんの方のご協力もあり、ここまで続けることができました。
今後の『ブラ大モリ』は・・・ 現在 計画中です!!
「こんなテーマで歩いてみたい」 そんなご意見 お待ちしております~~
「ブラ大モリ」2014冬 『みや大モリ』~神々が集う地・大森 編~
を開催いたしました~
天候にも恵まれ。絶好の町歩き日和♪
神社や祠、神社があった跡などなど、定員を大幅に上回る27名の参加者の皆さんと、楽しく大森の“お宮”を巡りました~
「城上神社」では、現在修復工事中の本殿について、大田市石見銀山課の小野将史さんにご案内いただきました。
主祭神は「大物主命(大国主命)」。また本殿のすぐ前、南社と北社にそれぞれ「櫛磐牖命(クシイワマドノミコト)」と「豊磐牖命(トヨイワマドノミコト)」が祀られています。
これは、「随神社」といって、主神に従い守護する者として安置されるものなのだそうです。
また、通殿(拝殿と本殿をつなぐ渡り廊下)は後になって作られたもので、それ以前は「随神門」の形をとっていた事。「浜床」と「浜縁」があった事・・・など、初めて聞く言葉にメモをとったり写真をとったり~みなさん興味深く聞き入っておられました~
こちらは、城上神社の境内社。 案内人は石見銀山資料館の藤原雄高 学芸員です。
城上神社の境内には、「天満宮」「稲荷神社」「恵比須神社」「大元神社」「春日神社」「八重垣神社」「愛宕神社」「大歳神社」「王子神社」「八幡宮」「粟島神社」・・・・などなど、たくさんの境内社があります。現在確認できる社は8社。その他にも、社の基壇のようなものが3箇所ほど確認できます。
もともと、この辺りの別の場所にあったものを境内に遷し、境内社になってからも、あっちの社からこっちの社へと、どうやら神様は、長い年月の間にずいぶん引っ越しをされたようです。
引っ越しもしなくなった今、どの社にどんな神様が祀ってあるのかすら解らなくなりつつあります。本殿の修復後には、どうか、境内社の詳しい調査や修復もしていただきたいなぁ・・・と、感じました。
こちらも現在修復工事中の「井戸神社」です。大田市石見銀山課の生田光晴さんにご案内いただきました。
井戸神社は、明治12年に、ここより少し北側に建てられましたが、大正5年に現在の地に遷ります。
祭神は「井戸平左衛門正明 公」。 享保16年から17年、第19代大森代官をつとめ、その後 神様となってこの地に祀られています。
ほぼ毎日のように見ているのですが、こんなに近くで見させていただいたのは初めてでした。
本殿の妻飾りや向背の彫刻は本当にみごとで、あらためて井戸公の功績と地元の方々の想いを感じることができました。
さて、さて・・・ここは?
御陣屋の郭内にあった「稲荷大明神」の跡です。
何をしているのか?はたして「宮」なのか?この写真ではさっぱりだと思いますが・・・藤原学芸員が、灯篭の片割れを指して「文政六年・・・代官大岡源右衛門・・・」などと説明しているところです!
瓦葺きの拝殿と、枌葺き(そぎぶき)の本殿、鳥居も立っていたとのことです。 現在は城上神社の境内稲荷社に一緒に祀られています。
観世音寺の境内にある「金毘羅社」。
今回のポスターに使われた写真。いったいあれはどこか? と、一部でちょっと話題になっていたようですが、ここが正解! 1月10日の雪の日に撮影したものでした~
「金毘羅社」は、元々は向こうに見える山の上にあったとのこと。よく見ると、鳥居はちゃんと山の方向を向いています。 現在は地域の方々によって大切に祀られています。
町内の家々には、個人で祀っておられる社もたくさんあります。今回は特別にそれらも見させていただきました。
屋敷神というのでしょうか、敷地の後ろや近くの山などに祀ってあります。
地元の方の話では、「お稲荷さんは、ちょっと大きい家にはたいがいあった」とのこと。町並みには恵比須社も3社あったとのことですし、かつての繁栄ぶりがしのばれます。
町並みの南端にある「長砂神社(たかさごじんじゃ)」です。
城上神社より約1㎞離れたところにある「飛地境内社(摂社)」で、主祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です。 「大国主」の国造りに参加したとして二神は対で祀られることが多いようです。
毎年行われる秋の大祭では、城上神社で本祭をし、御神輿やしゃぎり太鼓などが長砂神社まで行って祭りをしてからまた城上神社に戻ってきます。 これは「大国主」が「少彦名命」のところに行って相談をされるーということなのだそうです。 参加者からは「なぜ少彦名命が来ず、大国主命が行くのか?」といった質問もありました。
(その理由がわかる方、ご一報いただけると喜びます)
最後に訪れたのは、「天満宮跡」です。(写真は終わりのあいさつをしているところ)
この「天満宮」、実は石見銀山絵巻の最初の1ページに描かれています!
今はただの空き地のように見えますが、実際に行ってみると「梅鉢紋」が彫られた灯篭の一部や、鳥居の一部のようなものも転がっています。 きっと立派な社殿が建ち、多くの人々の信仰をあつめていたんだろうなぁ と思います。
今回は、“お宮”をテーマに1㎞ほどの町並みを3時間半かけて巡りました。 テーマを決めたときには、正直、こんなに“お宮”に関するものがあるとは思ってもおらず(写真に写っていないところもたくさんあります!)、実際は時間が足らないくらいでした。
ご参加くださった皆さん。ご案内くださった小野さん、生田さん、藤原さん。本当にありがとうございました。
また、イベントを行うにあたり、地元の方々にも、たくさんお話を伺いましたし、修復工事中の現場を見させていただいたり、と、たくさんの皆様のご協力でイベントを行うことができました。
本当にありがとうございました。
『ブラ大モリ』は、毎回専門家の案内のもと、様々な切り口から大森の町並みを巡る「町あるきイベント」です。
石見銀山資料館 と、家の女たち が、共同で主催しています。
これまでに、【陣屋町】、【武士】、【建築】、【お寺】、【石】、【宮】 をテーマに、元気に町並みを巡ってきました~。
毎回たくさんの方にご参加いただき、また、たくさんの方のご協力もあり、ここまで続けることができました。
今後の『ブラ大モリ』は・・・ 現在 計画中です!!
「こんなテーマで歩いてみたい」 そんなご意見 お待ちしております~~
by kumagai-ke
| 2014-03-02 16:58
| 石見銀山