2015年 06月 12日
お代官様のお仕事~ |
今年は、徳川家康公の没後400年だそうですね。
これは、大森町の勝源寺裏山にある【東照宮】。
『東照大権現』。つまり、徳川家康公を祀る神社です。
なぜ大森にあるのか?
石見銀山は、関ヶ原の戦いの直後、江戸幕府の直轄地(天領)となります。
この東照宮は、まさに天領の象徴。
(※東照宮への道はキケンです。勝源寺境内からそっと手をあわせましょう)
幕府の直轄地は、大都市や交通の要衝、貿易の拠点となる港、森林などの資源の豊かなところ、貨幣の原料ともなる金銀山などです。
そこには代官所(陣屋)が置かれ、郡代や代官・奉行が支配しました。
江戸幕府の強固な財政を支えたのが、これら直轄地からの年貢収入でした。
大森代官所は、石見銀山や周辺の農村などを含む約4万8千石の天領支配の拠点であり、59名の奉行・代官・預かり がその支配にあたりました。
只今、そんな大森代官所の跡地に建つ【石見銀山資料館】で、
企画展「代官のお仕事」を開催中です。
※許可を得て撮影しています。
代官の在任期間は思いのほか短く、また、職務にあたる役人もそう多くはありません。
その中で、租税や出納に関わること、裁判に関すること、鉱山に関すること・・代官所だけで決定できることは限られており、江戸の勘定所とのやりとりもしなければなりません。
石見の奉行・代官には、後に勘定奉行にまで昇進した天野助次郎や、享保の飢饉から領民を救った井戸平左衛門。農民出身から代官、最後は勘定吟味役にまで昇進した川崎平右衛門など、名代官と称された者も少なくありません。
そんな奉行・代官に焦点をあてた企画展。
石見銀山ならではの企画です!!
会期は7月5日(日)まで。
6月14日(日)・7月5日(日)の 10時~11時は、
藤原雄高学芸員によるギャラリートークと、代官所の痕跡をたどるフィールドツアーがありますよ~~~
↓大森代官所の門長屋。
かつて、全国で50ヵ所以上に設置された代官所の表門・門長屋。
現地で保存されている、わずか3例のうちの1つです。
これは、大森町の勝源寺裏山にある【東照宮】。
『東照大権現』。つまり、徳川家康公を祀る神社です。
なぜ大森にあるのか?
石見銀山は、関ヶ原の戦いの直後、江戸幕府の直轄地(天領)となります。
この東照宮は、まさに天領の象徴。
(※東照宮への道はキケンです。勝源寺境内からそっと手をあわせましょう)
幕府の直轄地は、大都市や交通の要衝、貿易の拠点となる港、森林などの資源の豊かなところ、貨幣の原料ともなる金銀山などです。
そこには代官所(陣屋)が置かれ、郡代や代官・奉行が支配しました。
江戸幕府の強固な財政を支えたのが、これら直轄地からの年貢収入でした。
大森代官所は、石見銀山や周辺の農村などを含む約4万8千石の天領支配の拠点であり、59名の奉行・代官・預かり がその支配にあたりました。
只今、そんな大森代官所の跡地に建つ【石見銀山資料館】で、
企画展「代官のお仕事」を開催中です。
※許可を得て撮影しています。
代官の在任期間は思いのほか短く、また、職務にあたる役人もそう多くはありません。
その中で、租税や出納に関わること、裁判に関すること、鉱山に関すること・・代官所だけで決定できることは限られており、江戸の勘定所とのやりとりもしなければなりません。
石見の奉行・代官には、後に勘定奉行にまで昇進した天野助次郎や、享保の飢饉から領民を救った井戸平左衛門。農民出身から代官、最後は勘定吟味役にまで昇進した川崎平右衛門など、名代官と称された者も少なくありません。
そんな奉行・代官に焦点をあてた企画展。
石見銀山ならではの企画です!!
会期は7月5日(日)まで。
6月14日(日)・7月5日(日)の 10時~11時は、
藤原雄高学芸員によるギャラリートークと、代官所の痕跡をたどるフィールドツアーがありますよ~~~
↓大森代官所の門長屋。
かつて、全国で50ヵ所以上に設置された代官所の表門・門長屋。
現地で保存されている、わずか3例のうちの1つです。
by kumagai-ke
| 2015-06-12 19:19
| 石見銀山