2011年 05月 08日
あらためて、石見銀山を歩いてみました! |
毎月最終火曜日は熊谷家住宅の休館日です。休館日には春夏秋冬のイベントを開催したり、展示替えやしつらい替え、職員研修などを行っています。ほんとうなら、この日(4/26)は、春の企画『春高楼の花の宴』を行う予定だったのですが震災のため自粛。そのかわりに職員研修を行うことにしました。
8:45 井戸神社集合、見学
9:00 石見銀山資料館見学(仲野館長のお話)
10:30 城上神社、勝源寺など見学
11:30 昼食(梅の店)
12:30 町並み散策(熊谷家ー西性寺ー町並み交流センターー河島家ー銀山公園)
銀山地区散策(銀山公園ー遊歩道ー豊栄神社ー清水寺ー龍源寺間歩ー)
15:30 休憩(山桜)
16:30 井戸神社解散
城上神社~龍源寺間歩までの約3km(往復6km)を歩いてみよう~という日程です。
石見銀山ガイドの会の和上会長に案内していただきました。
まずは“石見銀山資料館”
資料館には、絵巻や古文書などの歴史資料や鉱石などが展示してあります。以前お話した『勝海舟が書いたという井戸神社の扁額』の実物はここに展示してあります。「昔の人ってみんなこんなに字が上手だったのかなぁ?」などと思いながら古文書を見ていると・・・あっという間に予定時間の30分がたってしまいました。
展示品を見学した後は勉強会。『陣屋町大森について』というテーマで、仲野義文館長のお話を聞きました。これで、来館者の方に質問をされても大丈夫!?
「そもそも大森と号すゆえんは城上大明神の森ある故なり」・・・大森という地名の由来となったのがこの“城上神社”といわれています。みんな拝殿に背を向けて何を見ているのでしょうかね?
拝殿の天井には『鳴き竜』が描かれています。
この鳴き竜と格天井のことは、またいつかお話しますね。
“勝源寺”の四脚門です。残念ながらこの日は休館日で館内を見ることは出来ませんでした。
さすがは徳川幕府の天領!家康公以下12代を祀った『東照宮』や、歴代代官の墓所などがあります。
私たちが働いている熊谷家住宅の13代当主『伸英さん』の頌徳碑もあるんですよ~
春の企画でお出しするはずだった料理の試食会を兼ねて、“梅の店”でのお昼御飯です。
いくつになっても食べざかり!とってもおいしくいただきました。
さて昼からは往復約6kmのウォーキングです。少し小雨が降ってきました。
まずは“重要文化財熊谷家住宅”ですが、今日は休館日・・・いつも館内で案内をしている私たちですが、今日はお客様目線で眺めます。
熊谷家住宅の見どころはHPで!
http://kumagai.city.ohda.lg.jp/
“西性寺”です。経蔵に鳳凰や牡丹の鏝絵があります。
実は、家の女たちメンバーのTさんのお家でもあります。
“代官所地役人 旧河島家”前です。
河島家は武士の住まい。通りに面して塀と門を設け、少し奥まったところに式台付きの主屋を建てるのが特徴です。
「Kさんごめんね。しっかり勉強してくるので、受付お願いしますね」と言って先を急ぎます。
“駒の足”地区です。
町人の屋敷には、河島家のような塀や門はありません。通りを歩きながら店先に並べられた商品を見て歩く姿は、今も昔もそう変わらないのかもしれませんね・・・
“渡辺家”前です。武家の屋敷構えですね。
当時銀山は柵で囲まれており、この辺りに『蔵泉寺口番所』があったそうです。正面に見えている山が“山吹城”です。みんながあんまりゆっくり町並みを見て歩くものだから、時間が押してしまって・・・ガイドの和上さんもちょっとヒヤヒヤしておられます。
“清水寺”です。残念ながら内部は非公開です。
以前ブログで紹介した、あの家康公から頂いたとされる『辻が花染丁子文道服』などの寺宝や、石見銀山の発見の逸話など、銀山と深い関わりをもつお寺です。
遊歩道を歩いていると、たくさんの間歩(鉱道)を見ることができます。
これは間歩の掘り方を説明しているところ。こんな感じで、ガイドさんはいろいろ工夫をしながら説明してくださいます。(同じガイドとして、いろんな意味で本当に勉強になります)
いったい何があるの?
これは、銀山川にころがっている『かなめ石』(鉱石を砕く時に使った石)を探しているところです。写真ではなかなか伝えにくいのですが、遊歩道を歩くだけでもいろんな発見があって、とっても楽しいんですよ。
代官所が経営していた間歩の一つ“龍源寺間歩”です。銀の鉱脈に沿って掘り進んだ穴など、ノミで掘った跡が当時のままの状態で残っています。「人がやっと通れるほどの大きさっていうけど、私みたいな体型の人は絶対無理」とTさん。(Tさんみたいな体型の鉱夫さんはいなかった・・・ようですね)
“山桜”にてケーキとお茶で一休み。今日一番の笑顔ですね!
ひととおり町並みから龍源寺間歩まで歩いたので、今日の研修はここで終了です。でも、休憩が終わったら来た道を後戻りしますので、しっかりエネルギー補給しておきましょうね。
今回の石見銀山研修。石見銀山資料館の仲野館長やガイドの会の和上会長に解り易く説明をしていただき、とても有意義な研修となりました。本当にありがとうございました。
一日かけてじっくり見学しよう思っていたのに・・・思いのほか見るものがたくさんあって、結局最後は早歩きになってしまいましたが、生産の町であった銀山地区と、行政・通商的機能をもった大森の町並み。その両方をたったの一日で歩いて回れるというのは、石見銀山ならではの楽しみ方なのです。みなさんも、ぜひ、歩いてみてくださいね。
ということで、ここからはちょっと余談。
“勝源寺”での一枚。
ナイスバディ!
うらやましいですねぇ~
“西性寺”の石段です。よく見ると丸いくぼみがあります。『盃状穴』(願掛けなど、何かの信仰により人為的に開けられたもの)では?とか、雨だれが長い年月をかけて石にくぼみを作ったのでは?など、諸説あります。どちらにせよ、気の長い話だなぁと思います。
大きい声では言わないけれど、ほんとはもっと見てほしい・・・
石見人の気質を感じます
では、次回研修をお楽しみに
8:45 井戸神社集合、見学
9:00 石見銀山資料館見学(仲野館長のお話)
10:30 城上神社、勝源寺など見学
11:30 昼食(梅の店)
12:30 町並み散策(熊谷家ー西性寺ー町並み交流センターー河島家ー銀山公園)
銀山地区散策(銀山公園ー遊歩道ー豊栄神社ー清水寺ー龍源寺間歩ー)
15:30 休憩(山桜)
16:30 井戸神社解散
城上神社~龍源寺間歩までの約3km(往復6km)を歩いてみよう~という日程です。
石見銀山ガイドの会の和上会長に案内していただきました。
まずは“石見銀山資料館”
資料館には、絵巻や古文書などの歴史資料や鉱石などが展示してあります。以前お話した『勝海舟が書いたという井戸神社の扁額』の実物はここに展示してあります。「昔の人ってみんなこんなに字が上手だったのかなぁ?」などと思いながら古文書を見ていると・・・あっという間に予定時間の30分がたってしまいました。
展示品を見学した後は勉強会。『陣屋町大森について』というテーマで、仲野義文館長のお話を聞きました。これで、来館者の方に質問をされても大丈夫!?
「そもそも大森と号すゆえんは城上大明神の森ある故なり」・・・大森という地名の由来となったのがこの“城上神社”といわれています。みんな拝殿に背を向けて何を見ているのでしょうかね?
拝殿の天井には『鳴き竜』が描かれています。
この鳴き竜と格天井のことは、またいつかお話しますね。
“勝源寺”の四脚門です。残念ながらこの日は休館日で館内を見ることは出来ませんでした。
さすがは徳川幕府の天領!家康公以下12代を祀った『東照宮』や、歴代代官の墓所などがあります。
私たちが働いている熊谷家住宅の13代当主『伸英さん』の頌徳碑もあるんですよ~
春の企画でお出しするはずだった料理の試食会を兼ねて、“梅の店”でのお昼御飯です。
いくつになっても食べざかり!とってもおいしくいただきました。
さて昼からは往復約6kmのウォーキングです。少し小雨が降ってきました。
まずは“重要文化財熊谷家住宅”ですが、今日は休館日・・・いつも館内で案内をしている私たちですが、今日はお客様目線で眺めます。
熊谷家住宅の見どころはHPで!
http://kumagai.city.ohda.lg.jp/
“西性寺”です。経蔵に鳳凰や牡丹の鏝絵があります。
実は、家の女たちメンバーのTさんのお家でもあります。
“代官所地役人 旧河島家”前です。
河島家は武士の住まい。通りに面して塀と門を設け、少し奥まったところに式台付きの主屋を建てるのが特徴です。
「Kさんごめんね。しっかり勉強してくるので、受付お願いしますね」と言って先を急ぎます。
“駒の足”地区です。
町人の屋敷には、河島家のような塀や門はありません。通りを歩きながら店先に並べられた商品を見て歩く姿は、今も昔もそう変わらないのかもしれませんね・・・
“渡辺家”前です。武家の屋敷構えですね。
当時銀山は柵で囲まれており、この辺りに『蔵泉寺口番所』があったそうです。正面に見えている山が“山吹城”です。みんながあんまりゆっくり町並みを見て歩くものだから、時間が押してしまって・・・ガイドの和上さんもちょっとヒヤヒヤしておられます。
“清水寺”です。残念ながら内部は非公開です。
以前ブログで紹介した、あの家康公から頂いたとされる『辻が花染丁子文道服』などの寺宝や、石見銀山の発見の逸話など、銀山と深い関わりをもつお寺です。
遊歩道を歩いていると、たくさんの間歩(鉱道)を見ることができます。
これは間歩の掘り方を説明しているところ。こんな感じで、ガイドさんはいろいろ工夫をしながら説明してくださいます。(同じガイドとして、いろんな意味で本当に勉強になります)
いったい何があるの?
これは、銀山川にころがっている『かなめ石』(鉱石を砕く時に使った石)を探しているところです。写真ではなかなか伝えにくいのですが、遊歩道を歩くだけでもいろんな発見があって、とっても楽しいんですよ。
代官所が経営していた間歩の一つ“龍源寺間歩”です。銀の鉱脈に沿って掘り進んだ穴など、ノミで掘った跡が当時のままの状態で残っています。「人がやっと通れるほどの大きさっていうけど、私みたいな体型の人は絶対無理」とTさん。(Tさんみたいな体型の鉱夫さんはいなかった・・・ようですね)
“山桜”にてケーキとお茶で一休み。今日一番の笑顔ですね!
ひととおり町並みから龍源寺間歩まで歩いたので、今日の研修はここで終了です。でも、休憩が終わったら来た道を後戻りしますので、しっかりエネルギー補給しておきましょうね。
今回の石見銀山研修。石見銀山資料館の仲野館長やガイドの会の和上会長に解り易く説明をしていただき、とても有意義な研修となりました。本当にありがとうございました。
一日かけてじっくり見学しよう思っていたのに・・・思いのほか見るものがたくさんあって、結局最後は早歩きになってしまいましたが、生産の町であった銀山地区と、行政・通商的機能をもった大森の町並み。その両方をたったの一日で歩いて回れるというのは、石見銀山ならではの楽しみ方なのです。みなさんも、ぜひ、歩いてみてくださいね。
ということで、ここからはちょっと余談。
“勝源寺”での一枚。
ナイスバディ!
うらやましいですねぇ~
“西性寺”の石段です。よく見ると丸いくぼみがあります。『盃状穴』(願掛けなど、何かの信仰により人為的に開けられたもの)では?とか、雨だれが長い年月をかけて石にくぼみを作ったのでは?など、諸説あります。どちらにせよ、気の長い話だなぁと思います。
大きい声では言わないけれど、ほんとはもっと見てほしい・・・
石見人の気質を感じます
では、次回研修をお楽しみに
by kumagai-ke
| 2011-05-08 15:39